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2007.01.15

ナイトメアの設計と、ルルーシュへの(どうしようもない)感情移入

stage13まで見て、考えたことというか、感じたことというか、自分がルルーシュにはまってしまう理由(言い訳)。やたら長いので読み飛ばし推奨。

「本当は優しい子なのに」と報道される犯罪者家族の声を軽く聞き流していた私が、「本当は優しいのに人を駒として使い、多くの人を殺して手を真っ赤に汚した」ルルーシュに、なぜこんなにも感情移入してしまうのか。それは決して彼の悲惨な過去への同情のためだけでは無い。

stage1でシンジュクゲットー殲滅で始まるこの物語。アニメ誌で「この物語は人が死ぬ話です」と伝えるために、最初から幼子まで含めた住民虐殺などを描写したんだと説明していた谷口監督。見ている者は最初はこの血なまぐさい世界に圧倒されてしまうが、いつの間にかルルーシュがとんでもなく人を殺しているという「事実」が見えにくくなってしまう。

その一因として、ナイトメアフレームの「倒されても操縦者を無事に脱出させる」設計思想があるのかもしれない。stage1でジェレミアはカレンに追い詰められても脱出して無傷で生還した。この世界のナイトメア戦は、人が死なない、死ににくい。だからそういう錯覚を呼び起こしたのかもしれない。しかし、このstage1がちゃんと描写されてたからこそ、stage13の「ゲームのつもりででもいたか?」が重く見ている私にのしかかる。最初にちゃんと言ってたじゃないですか、これは人が死ぬお話なんですよと。ルルーシュがやってたことは本当はこういうことだったんですよと。

最初の親衛隊全滅は正当防衛かもしれないが、明らかにルルーシュが手を下して殺したのはクロヴィス。そして敵であるブリタニア軍、日本解放戦線、駒であるレジスタンスの死に責任がある。そしてナリタ攻防戦で初めて敵でも駒でも無い人々を大量に巻き込んだ。でもこのstage10,11を見ながら喝采を上げてしまったのは私も同じ。そしてstage10,11に酔いしれた私はstage12で冷水を浴びせられ、stage13の葬儀のシーンと、C.C.の「ゲームのつもりででもいたか」という言葉に打ちのめされる。stage13のリヴァルの発言は、このブログやら掲示板やらにすげーすげーと感想を書き込んだ私を代弁しているようなものだ。だから、ルルーシュがそこで更に(無理をして)血を血で上塗りしてしまおうと、修羅の道へ走ろうとする心情に幾分か共感してしまい、でもそれにより彼が更に傷ついていく予想もしてしまい、カレンに対する感謝の言葉に感動しつつもその道は間違ってるんじゃないかと、困り果てて固唾をのんで見守ることしかできず…

そしてヴィネッタ。単独でゼロの正体を探る理由は、ジェレミアの悲惨な末路があり、その轍を踏まないで自分は生きようとしているから。「よくあるサスペンスモノ2時間ドラマの断崖絶壁で一人で犯人と対決しようとするアホ探偵役」とは全然違う。他のキャラクターも、それぞれの理由を抱えて生きている。それが一番見えにくい(隠されている)ため感情移入が一番難しいスザクも、何か感情移入してしまうような理由を抱えているんだろうか。もしそうだとしたら本当にこれは恐ろしいまでに力強く構築された『物語』なんだと思う…。

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